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前田勝洋 教育を拓くJ 〈最終回〉
自主教材の開発に,「子どもの学び」を求める教師たち

−バーチャルな時代こそ足で稼いた手作りの授業実践を−

手作りの教材開発に取り組むU先生
足で稼ぐ教材発掘を
魚屋さんに見る日本の水産業の現状の授業を参観する
手作りの教材の発掘が,子どもの学びを育てていく


 あれは,昭和40年代から,50年代にかけてのことであったでしょうか。多くの小中学校で,それぞれの教科において,「自主教材の発掘」「手作りの教材化」「子どもに切実感を持って迫る教材の開発」などが,きわめてエネルギッシュな実践活動として展開されていました。

 私も社会科の教師のはしくれとして,小中学校の社会科授業に携わりながら,地域教材の発掘や遠い国や地域の学習,歴史の学習などに,なんとか子どもたちの関心・意欲をかきたてようと教材構想に四苦八苦したものでした。それは,決して,苦しみと言うよりも,むしろ自分なりのオリジナルな教材化は、一介の教師としての当然の営みだと思っていました。

 岡崎市に2と7のつく日に開かれる市を取り上げた「岡崎市の二七市」,遠い雪国である新潟県の山古志村から,杜氏として酒造りに来ているおじさんに迫る「雪国から来たおじさん」,中学校の公害問題で,水島工業地帯を取り上げた「水島の人々の暮らしと工場地帯」などは,今も私の手作りの授業として思い出深い授業です。

 あれから,30年ほど過ぎて,各地の小中学校での授業実践に,そんな「手作りの授業実践」を見ることが少なくなってきているように思います。授業方法の研究は,各地の学校で取り組まれているものの,教材を発掘することから手掛けて,素朴であっても瑞々しい実践を見ることがほんとうに少なくなったなあというのが,私の感慨です。

 それはいったいなぜでしょうか。カリキュラム論争もかげをひそめています。そのことは,教材化の成熟を示しているのでしょうか。

 どうもそのようにはとらえられません。

 一番大きな要因は,教師たちの多くのエネルギーが,「授業の成立」に関心が向けられていることです。学級崩壊,授業崩壊などが,世間の多くの学校では,大きく問題化しています。子どもたちが,授業に「参加」することができなくなってきています。もちろん,それは昔からあったことです。

 しかし,以前以上に,「授業の成立」が危惧されるようになってきたと言えるのではないでしょうか。教師たちは,「学習規律」や「授業方法」を模索しながら,授業が成り立つことに多くの知恵とエネルギーを割いているといえます。それらのことは,決して軽視できる問題ではありませんし,私も大きな関心を持っています。ただ,そうかと言って,「手作りの教材」を模索した,かつての教師たちの営みを復活してこそ,子どもたちだけではなく,教師にも「学ぶことの歓びや感動」を切実感を持って感受することができるのではないかと思うのです。

 また自主教材を開発して授業実践をする教師の存在が希少価値になっているのは,もう一つ別の側面として,何よりも教師の多忙化と「学ぶべき内容を教えてすませてしまう」教師の消極的な授業観にも,たぶんに関係します。保護者にも「テストに出もしないことを詳しく学習するような,そんな授業よりも,教科書をていねいに教えてほしい」という声が大きいのです。いきおい教師たちは,わざわざ手間暇を費やして教材発掘することを怠ります。

 しかし,本来の「学習」とは,子どもたちが切実な問題意識を持って「学ぶ」こと,自らの学びの手法を駆使しながら(試行錯誤しながら),学習対象の核心に迫って行くことであると思います。

 ここでは,そんな実践意識を喚起しながら,5年社会科「日本の水産業」の授業を進めていったU先生の実践を紹介したいと思います。

1 手作りの教材開発に取り組むU先生

 K小学校のU先生は,30代になったばかりの女性教師です。彼女の専門教科は,美術です。その彼女が,去年あの東日本大震災に学ぶ授業実践をしました。それは,総合的な学習として,「どうしてもこの大震災を,子どもたちの学びの対象にしたい」という強い願いからの出発でした。そして,実際に被災地を訪れたり救助にあたった消防士さんを招いたりして,6年生の子どもたちに真正面から大震災に向き合わせたのでした。

 それは,子どもたちに忘れられない,心に深く残る学習を成立させていきました。

 今年度,U先生は,5年生を担任したのです。彼女は,「今年も子どもたちに実感的で切実感のある学習をさせたい」と思っていました。彼女は,自分ではまったく専門外の社会科で,取り組もうとしました。5年生の社会科は,「日本の産業の構造を人々の生きざまの中に見つける学習」です。

 いままで多くの先人の実践を見たとき,農業学習とか工業学習では,それぞれの地域の事例を生かしての質の高い実践があることを知りました。そして,水産業の実践が,日本の産業の大きな特質としてありながら,ほとんど積極的な実践がないことを知りました。「この地域では,まったく身近ではない水産業に体当たりする授業をして,子どもたちに切実感のある実感的な学びを体験さえよう」と,U先生は決断したのでした。

 私は,そんな授業のまだ構想を練る前の段階で,U先生から,「水産業の授業の教材化」について,相談を受けました。「前田先生,私は美術科を卒業した教師です。そんな私が,社会科の授業,それもみんながあまり実践化していない水産業を取り上げることは無謀なことでしょうか」「そんなことはないですよ。私も応援したいから,取り組みましょう」私は,U先生の目を見て,「もうU先生の腹は決まっている」と思いました。だったら,U先生を応援したいと思ったのです。

 「U先生,水産業が,これまで農業単元や工業単元に比べてオリジナルな教材化がなされてこなかったのは,なぜかわかりますよね」「水産業は,身近でないということでしょうか」「そうです。あまりに遠い存在なんですね。だから,身近にする具体的な手立てが見つからないのです」「では,無理でしょうか」U先生とのやりとりは続きました。

 「いや,U先生,手掛かりは子どもたちの食卓にありますし,スーパーや地域の魚屋さんにもあります。」「それに加えて,去年の大震災で使った手法ですよ。つまり映像や写真資料を使うことも大事なことです。何よりも地域に魚を商売にしている人が必ずいるはずです。それが大きな手掛かりになりますね」と話したことでした。

2 足で稼ぐ教材発掘を

 「この秋に水産業で,この子たちと勝負しよう」という決意は,U先生をして夏休みに教材発掘することを急がせたのです。真夏の暑い季節に,U先生は,校区で魚屋さんを営むスーパーや小売店に探し求めたり,遠く離れた三河湾の沿岸の町に市場や漁船を訪ねたりしました。

 朝というよりも,夜中に起きて早朝未明に行われる魚市場のありさまを見たり,聴いたりすること,漁船に乗せてもらっての船の構造を探索するなどということは,U先生自身,この教材開発を決断しなかったら思いもよらないことでした。校区での魚屋さんを単独で営むご主人に出会って,お話したり,店の構造や鮮魚の様子を見たりする中で,U先生の中に次第に熱くなる想いが噴き上がってくるのでした。

 それは,漁業の営みは,「鮮度と時間との勝負だ」ということでした。漁船の構造を見ても,魚市場の氷詰めにされた魚,セリの様子を見ても,また魚屋さんへ配送するトラックを見ても,そこには,「時間を勝負」にしながら,「おいしくて安全な魚を食卓へ」という漁業関係者の願いと知恵が詰まっているのです。「とれたての味を食卓へ」というテーマが,U先生にひらめいてきたのでした。それはワクワクするような感動を与えてくれました。

 U先生は言います。「前田先生,私たちの暮らしに直結する形で,『とれたての味を食卓へ』が浮かんできました。これで勝負してみます」U先生は快活に上気した顔で語るのでした。

 その一方で,漁業関係者の高齢化,水産業の衰退,食卓での魚の需要の減少なども,社会的な問題であると思えてきたのです。その現実を見過ごすわけにはいきません。むしろ「これこそが,授業で勝負したいことだ」「子どもたちにこのことに向かい合わせたい!」そんな思いが武者震いするような感動を持ってU先生には,ふつふつとわき上がってきたのです。

 去年,大震災を取り上げたときも,U先生は,「自分が何もわかっていない現実」に,「子どもが学ぶことよりも,私が学ぶことが何よりも大事な教材発掘だ」と思ったのです。それは,今回の「日本の水産業の現状と問題点」の場合もなんら変わらない実感でした。U先生は,教材を足で稼ぐことをしながら,秋の実践を構想していったのです。

3 魚屋さんに見る日本の水産業の現状の授業を参観する

 私が,U先生の授業を参観したのは,
 @「とれたての味を食卓へ」と魚の鮮度を保つために工夫された「漁場,漁船,漁港,市場の仕組みからの見つけ」と,A「とれたての味を食卓へ」と一軒の魚屋さんが行っている魚の鮮度を保つ工夫や努力を具体的に追究する二つの授業でした。

 この二つの授業は,対照的な授業形式で行われました。前者は,U先生の取材してきた資料やさまざまな間接資料から「鮮度と時間に挑戦する」漁業関係者の工夫や願いを明らかにしていくことであり,後者は実際に校区の魚屋さんをたんけんする中で,「見つけた事実」に基づいての授業です。

 前者の授業に登場する漁船の中には,獲った瞬間に冷凍できるもの,生きたまま運べるいけすなどの設備が備えられています。漁法によっては,何日も海の上で過ごすこともあるので,漁の仕方から,鮮度が落ちない工夫まで色々出て来ます。たとえば,「魚を眠らせておく」などの想像を超えた事実に,子どもたちは感嘆の声をあげたのでした。また,漁港に水揚げされた後は,即座に選別したり海水を入れた水槽での輸送をしたりなど,その工夫を,漁船,漁港,市場の写真や動画での映像から,「見つけさせていく」手法でなされました。子どもたちは,そのすばやさと一方では,高齢者の漁業関係者にも目を向けていったのです。

 また,魚屋さんの授業では,冷凍庫などの設備だけではなく,お客さんとのやりとり(会話)を行いながら,「とれたての味を食卓へ」が,まさに眼前で行われていることを見届けていったのです。授業者のさまざまな工夫によって,魚屋さんを営むおじさんの喜びや悩みにふれ,子どもたちは,漁業の問題が,自分たちの食卓に直結していることを学んでいったのです。

 私は,U先生の授業を参観しながら,子どもたちの気持ちの入った発言や身振り手振りで漁業関係者の願いや工夫に迫る姿に,こういう学びをしていくことこそが,「学習する」ことであると強く思ったことでした。

4 手作りの教材の発掘が,子どもの学びを育てていく

 ここで紹介したU先生のような実践は,ほんとうに貴重な授業です。

 中学校において,理科の授業で,「火山のでき方」をマヨネーズやヨーグルトなどをマグマに見立ててやる授業を参観したことがあります。

 運動場で,校舎の高さを測定することを相似比を使って測量させて学ばせている教師にも立ち会いました。

 それらの授業に共通している授業者の姿勢は,臨場感溢れる本物体験から,「探究するおもしろさ」「真の学びに共通するワクワク感」を体感させ,その学びが「好きになる」「学習とは,こんなにも奥深いものか」を知らしめていく使命感のようなものを受け止めることができます。

 私は,今がバーチャルな時代であるがゆえに,素朴であってもいいから,「足で稼いだ手作りの授業実践」が,改めて見直されることを願っています。






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