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楽観的にたのしくがんばれる学校
―達人教師・前田勝洋の学校行脚・その12―

1 授業研究が伝統として根づいた学校
2 伝統が今に息づく
3 障害者施設の「教材化」に挑む――差別感にどう向き合うか
4 「教材化」への高い壁
5 自分の考えを見直す子どもたち
6 根底には,話し合い,聴き合いを軸にした「参加型の授業」が


1 授業研究が伝統として根づいた学校

 私が継続して訪問している学校の一つに,K小学校があります。この学校はかつて私が若いころに勤務していた学校でもあります。市の中心市街地に位置する大規模校でしたが,今は学校分離もあって,中規模校になりました。
 この学校では,もうずっとずっと先輩から後輩教師へ授業実践の日常化が,息長く続けられてきています。教師たちには,その学校に赴任するということは,当然のように授業実践に打ち込むのだという自覚を携えて赴任するほどです。

 思い起こせば,私も中学校で新任生活をスタートしたのでした。そして,2校目に,このK小学校へ異動になりました。長く中学校に在籍した私にとって,この学校は,厳しい試練の日々になりました。しかし,そこでの日々は,かなりハードではあったものの,その後の自分の教師としての生き方を決定づけることになっていったのです。

 社会科が自分の専門教科だと,その教科にしがみついていた自分を「国語」「理科」「合科的な授業」へと目を拓かせてくれました。
  • 新美南吉『おじいさんのランプ』を読解する授業を7時間継続して授業公開したこと。
  • 公害問題が世間で大きな問題化していたときに,岡山県の水島まで取材活動に行き,5年社会科で取り上げたこと。
  • 授業前の教師の在り方,授業中の教師の在り方,授業後の教師の在り方と,「前,中,後」と分けて授業分析する手法を学んだこと。
 などなどが,たいへん懐かしく思い出されます。

 それは私だけではなく,みんなみんな自分から問題を課して挑む姿がありました。「K小学校は提灯学校だから,あんな学校へ行くと家庭崩壊を起こすよ」と悪口を言われましたが,本人たちは,きわめて楽観的にたのしくがんばることができた学校でした。

 それは,一生懸命にやっている教師たちを,応援することはあっても,妨害したり足を引っ張ったりすることは,皆無だったからです。

2 伝統が今に息づく

 現在のK中学校では,国語と総合的な学習を中心にして,学校経営しています。国語は,全教科の基盤教科であり,当然のことながら,私たち日本人の思想信条を含めた生き方,考え方の基礎です。

 そして,もう一方では,全教科の発展的な教科として,「総合的な学習」に学年単位で取り組んでいます。
 私が在籍した頃は,やや学年体制が希薄だったことを思うとき,今現在のこの学校の経営方法は,学校全体が学年を基盤にしており,教師の協働体制で子どもたちを育てるという願いと方法が,実に巧妙に浸透していると感じたことです。

 ここでは,その事例の一つを紹介しましょう。

 そのK小学校の5年生の学年で,感動的な総合的な学習が展開されてきました。それは,K小学校の周辺地にある障害者施設や授産所のような施設との交流を,授業として大単元で行っているのです。時間数は30時間にも及ぶものです。K小学校の教師たちも,子どもたちも,「5年生になったら,障害者施設(実際は施設の名前で呼びますが,ここでは伏せておきます)と交流する学習をするんだ」という伝統が引き継がれていくまでになりました。

 この大単元「共に生きる」が,どのようにしてこの学校の伝統的な実践単元になっていったかをここでは,もう少し詳しく見ていきましょう。

3 障害者施設の「教材化」に挑む――差別感にどう向き合うか

 この学校にE先生がいます。中堅の女性教師です。彼女は,教科領域の指導員を務めるほどの授業力のある教師です。そのE先生が,この学校に赴任したとき,子どもたちが,どこか浮ついていて,いじめや勝手な振舞い,荒い言動が絶えないことに哀しさを感じていました。
 明るく元気である「よさ」と,それにも勝る自己中心的なわがままが大手を振ってのさばっている教室に,K小学校に来る前に抱いていたイメージとは大きくズレるものを感じているのでした。

 それは街の子という家庭の環境も大きく影響しているだけに,そんなに簡単な問題ではありません。

 E先生は,もともと道徳の授業や社会科,総合的な学習で,子どもたちの「学ぶ力プラス生き方」を見つめ見直していく授業を試行していました。K小学校に赴任したとき,休みの日や空いている時間に校区内を巡ったり図書館で調べたりして,K小学校の子どもたちに,何が「学びの教材になるか」模索したのでした。そして,行き着いたところが,「障害者施設の多い学区だ」ということでした。

 K小学校の周辺には,5つも障害者が生活している施設があるのです。E先生は,自分であれこれ考え,この障害者施設を「教材化」できないだろうか,と私に相談を持ちかけてきました。

 私はE先生の真剣な視線にうなずきながら,「それはよい教材の発掘になると思うよ。でもかなりハードな壁もありますね」と言いました。周辺地にある障害者施設は,かなり重度な障害者の生活舞台です。果たして子どもたちが,その障害者と交流することが可能かどうか,かなりの違和感を持ってしまうのではないか,と案じたのです。

 それでもE先生の想いは熱くなるばかりでした。「まずはたとえこちら(学校側)がやる気であっても,相手のあることだから,相手が協力的であるかも,大きな課題だよね」と言って話を終えたことでした。

4 「教材化」への高い壁

 「前田先生,やっぱり今回の教材化は無理なようです。相手の障害者の施設を訪問して施設の指導員の方々お話したのですが,ご理解いただけません」E先生からの電話です。
 前回の打ち合わせを受けて,E先生は障害者施設で「総合的な学習で子どもたちに,ぜひとも学ばせたい願いと構想」を指導員の先生方にお話ししました。「指導員のかたがたは,この施設はとても重い青少年が入っているので,到底交流できない」ということでした。

 さらにショックなことは,「だいたいK小学校の子どもたちが,この施設の傍を通学しているのですが,いつも悪口を言ったり石を投げたり……いたずらばかりですのですよ。いつか一度子どもさんへ指導してほしいと思っていました」と言われたことでした。E先生はこれでは話にならないと早々に退散してきたと言うのでした。

 「E先生,あなたはよくまあそこまでがんばって訪問しましたね。私は今先生の話を聴いていて,前回はそれほどやったほうがいいとは思いませんでしたが,ぜひやるべきだなと思いましたよ」
 私のその言葉に,E先生は,「えっ,どうしてですか?」と怪訝に言います。

 「だってそうではないですか。あなたがこの障害者施設を取り上げて,教材化しようとしたのは,『共に生きる』意識を子どもたちの中に育てたいのではないですか。石を投げたり悪口を言ったりする子どもは,やはり自分たちとは違う人間だという差別感が蔓延しています。それを砕くことが,この学習の意図ではないのでしょうか」
 私の話に,E先生は「そうですよね,私の願いはそこにあるのですよね」と反すうするように言うのです。「やってみます」しばらくしてE先生の電話の声です。「がんばってください。私もできるだけ応援します」と言って終えたのでした。

5 自分の考えを見直す子どもたち

 それから,E先生の格闘が始まりました。何度も何度も門前払いを食いながら,それでも最終的に「それでは私たちの願いを受け入れてくださるなら」という指導員の言葉を引き出したのです。

 それから,E先生は,子どもたちを施設へ引率して学習を展開していきました。初めはこわごわとして引いていた子どもたちも,しだいに「遊びを作って訪問したり,合唱を一緒にしたり……」と積極的に交流していったのでした。

 今では指導員の方々から,「今年度はいつから,交流をしてくださるのですか。施設の子たちも待っていますから」とまで言われるようになったのでした。それは,E先生の熱意ある取り組みが,子どもたちのみならず,指導員さんの意識さえも大きく変えさせて行ったのです。

6 根底には,話し合い,聴き合いを軸にした「参加型の授業」が

 この学校の優れたところは,そういう大単元とも思える実践単元が行われているということだけでは,説明不足です。その授業を参観したとき,子どもたちのひたむきな参加型の授業になっているということです。

  • 導入の工夫による子どもたちの生活意識の掘り起こし:日常的に何気なく見ている校区を実践事例にしていること。

  • 子どもたちが学習対象を学ぶ時,必ず「予想する」(きっとこうなっているはずだ,たぶんこうだろう)を大切にしている:このことが,学習対象へのせまり方を切実感のあるものにしている。

  • 学習対象に浸り,事実をしっかり見届ける:「見つけ学習」の手法を生かしながら,事実を見つけることにこだわらせ,「再現学習」を学習の土台にしている。

  • 「再現学習」をする中で,子どもたちのこだわりをはっきりさせていく:子どもたちがこだわったことを軸に再度現場学習を行う。そこでは作戦を立てて,ただ見るのではなくて,自分のこだわりをはっきりさせるために,調べの作戦を立てて臨む。

  • こだわりを明らかにしていくために,インタビュー学習の効果的な取り入れを行う:「見つけ学習」で見えてきたことが,「ほんとうはどうなんだ」と簡単に納得することなく,挑み続ける。

 こうした一連の単元の流れは,学習対象の中身で,決して単純化できるものではありません。そのつど教師は悪戦苦闘します。「学ぶとは山を登るがごとし」をまさに教師も子どもも体験的に行う参加型の授業になっているのです。

 私は退職以後,ずうっとこの学校の実践単元の展開にかかわり,その教師たちの奮闘ぶり,子どもたちの変容ぶりを見てきました。K小学校には,その間にどれだけ多くの実践単元が発掘,蓄積されてきたことでしょうか。
 校長先生を軸にした管理職の方々や一般の教師のみなさんも年々歳々異動や退職をされて,この学校を去っていきます。それでもこの学校には,授業研究の灯はともり続けています。






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