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前さの窓(前田勝洋学校行脚記)その4

1 秋の訪れ
2 78回という回数
3 N校長の信念
4 N校長さんの若き日の告白
5 年間3回の授業公開を義務付ける
6 5年間のかかわりから感じること

1 秋の訪れ

 あれほど,高温続きの夏もやっとこの時期になって,朝晩,しのぎやすくなってきました。学校も実りの秋を目前にしていますね。

 秋は私の大好きな季節です。もっとも秋を嫌う人の方が少ないとは思いますが, ……。朝晩のひんやりとした空気,夜長を虫の声を聴きながら,静かに過ごすひとときは,至福です。好きな本を手元に数冊置いて,代わる代わる取り替えては読むことが,私の趣味です。一冊の本を根気強く読むことは,私の性分に合っていません。「ながら族」を地で行くような過ごし方です。

 5月,6月に訪れた学校からふたたび,この秋に招かれることが多々あります。私も先生方と語らうことがたのしみで,いそいそと出かけるのです。

 そんな学校の一つにT小学校があります。

 この学校を訪問するようになって,もう5年目を迎えています。長いお付き合いになってきています。今回は,このT小学校のことをみなさんにお知らせしたいなと思っています。

2 78回という回数

 のっけから数字を出しました。「78回」というのとT小学校とどういう関係があるのでしょうか。
 実は,この78回は,去年この学校の教師たちが,「授業公開した数」です。T小学校は各学年2〜3学級のどちらかといえば,中規模というよりも,やや小規模に属する学校かもしれませんね。担任教師の人数も特別支援学級を入れて17名です。

 読者のみなさん方に,単純な計算ですが,78回を17名の教師の数で割り算をしてください。どうでしょうか。商は4を上回って余りが出ますね。つまり単純計算をして,この学校の教師たちは,年間に一人で4回以上の授業公開をしていることになります。

 断っておきますが,これは保護者の授業参観の会をカウントしたものではありません。教師同士の研修としての授業公開数です。この学校では,ここ3年ほど前から,この授業公開数が,「ふつう」になりました。

 多くの学校では,「現職研修」として,「年間一人一回の研究授業の公開をして,教師としての力量向上を果たそう」としている,それがごくごく普通のことです。いや,なかには,年間一回も研究授業らしいことをしていない教師もいると聴いています。そんな中で,T小学校の存在は稀有で異色な学校として,私の目には映ります。どうして,そんな学校になったのでしょうか。

3 N校長の信念

 この学校の校長に,N校長さんが赴任したのは,3年前です。N先生は,それまで市教委に勤務していました。学校現場を指導監督する立場にあったN先生は,いつもどこの学校へ行っても,「授業がいのち」を力説していたのでした。市教委へ入る前の学校でも校長職にあったN先生は,その学校でも「学校経営の軸は授業実践にある」を標榜して経営に当たってきたのです。

 だから,新たにT小学校に赴任しても,その意思は変わるものではありませんでした。むしろ前以上に,「授業実践で勝負」を強く打ち出したのです。

 そんなN校長さんの姿勢に,職場の空気は乱れました。「なんでそんなにも,研究授業をしなくてはならないのか!」という反発が,出てきたのです。「教師の多忙さは尋常ではないのに,そんなにも授業公開をしていたら,先生たちはストレスでつぶれてしまう」「私たちは,それでなくても,保護者の対応や生徒指導を含めた仕事に忙殺されています。年一回の授業公開で精一杯です」そんな意見が若い教師もベテランの教師からも出てきたのです。

 でもN校長さんは譲りません。「みなさんの気持ちも意見も痛いほどわかります。しかし,これは私がこの学校の校長でいる間は,譲れないことなのです」と言って,N校長さん自身が,若かった頃の自分を引き合いに出しながら,「私たちの仕事は,子どもが成長してこその仕事に,教師冥利を感じることでなくてはなりません」「保護者の信頼を真に得るためにも,私たちの本分をこの授業に賭けないといけないのです」と語ったのでした。

4 N校長さんの若き日の告白

 N校長さんは30代の後半,とてもつらい目に遭いました。それは中学校で部活動の練習に明け暮れていて,日々の授業は,成り行き任せの教え込み学習の最たるもので過ごしていたのです。それが教師の仕事だと思っていたのです。

 そんなN先生が,小学校へ転勤になりました。その小学校へ替わって見て,自分がいかに「授業実践の力量がない教師であるか」を思い知らされたのでした。高圧的な力で臨む教師でしかなかったN先生は,「授業は,教え込むもの」と思っていたのに,その小学校へ異動になって周りの教師たちの「きめ細かな」それでいて「子どもの側に立つ」授業を参観して,動転するほどのショックを受けました。

 N先生は,「オレは小学校に向かない。早くもう一度中学校へ行きたい」と思いました。一日も早くこの学校から逃げ出したいと。でも異動は3年間できません。他のクラスを見ると,子どもたちが生き生きして授業に参加しています。自分のクラスはと言えば,まるでお通夜のような静まり返った教室で,ただN先生が説明したり教え込んだりしているだけでした。子どもたちもなんだか不満顔です。親もそんな素振りを保護者会の席で見せます。

 「これでいけない! なんとかしないといけない!」N先生は,覚悟をしました。

 それからは,恥も外聞もなく,若い教師にも「先生の授業を参観させてください」と言って,その若くても,巧みな授業をする教師の授業から学ぶ日々が続いたのです。小学校には,女性教師でほんとうに優れた授業を演出している教師がいるのです。N先生は,自分もどうやったら,あんな授業ができるようになるか,参観してはもがき苦しんだのでした。

 その学校での5年間は,N先生には厳しい試練の日々でしたが,「今思えば,私に授業実践の仕方を一から教えてくれた」「子どもたちが,自ら賢くなるために,意欲と自覚を持って取り組む大切さを叩きこんでくれた」「教師は授業ができてこそ,教師になれることを身にしみて実感させてくれた」と回顧するのでした。失敗を覚悟で何度も何度も授業を公開して,みんなにズタズタに批評をしてもらって……。そんな日々があって,少しずつ授業に手ごたえを感じるようになっていったのです。

 それは,「つらい日々であったけれど,歓びに満ちた日々でもあった」というN先生の言葉に,いつの間にか,T小学校の教師たちは,納得していったのでした。

 それからのN先生の口癖は,「授業で子どもを育ててナンボだ」「授業実践で精進してこそ,子どもや親にも信頼される教師になれる」と自ら進んで実践者になっていったのでした。「若い教師には,自分が味わったつらさを味わわせてはならぬ」「授業での実践で腕を磨く教師を育てなくてはならぬ」と。

5 年間3回の授業公開を義務付ける

 T小学校では,それから一年間に3回以上の授業公開が「ふつう」になりました。N校長さんの言葉を借りれば,「一年に一回だけの研究授業をして,教師の務めを終えた気分になっていては,ほんとうの精進とは程遠い。年度初めのまだ学級も授業も立ち上がりの時期の実態を参観してもらって……そこでの打つべき手立て(処方)をみんなで語り合って………それが9月以降にどう実現していけるのかいけないのか…………それを見届けてこそ,担任教師に寄り添いながらの実践する学校経営ではないか」

 私はT小学校で,年間10回ほど授業参観日に招かれます。各教師の授業公開をいつも全校の教師たちで参観するのではありません。四役と,私のような者と,それに外部の小中学校の先生方にも案内を出してあって,その方々にも参加してもらっての参観授業です。校内の手の空いている教師も参観します。

 そして2月にもまたまた授業公開をするのです。そんな体制になっているのです。そうすると,一回だけの授業をどう飾り立ててやるかという問題ではないのです。授業公開の中に,「その学級の現状」「その教師の技量」を探り,次回までにどう立て直していくかを考えます。

 3回の授業公開は,まるで人間の健康診断のようなものです。その時点で,どんな問題を残しているか,できるようになってきたのは何か,どういう芽生えや可能性が見られるか,そんなことを探るのです。

 私も呑気に見ているわけにはいきません。まるで定点観測で見た前回の授業と結び付けながらの模索です。「このことに大きな成長を感じるねえ」「S君は今回の授業では参加度が低かったけれど,……そうですか,家庭が不安定になっていることが影響しているかもしれませんね」「先生自身が,待てるようになってきて,授業がほんとうに心地よい緊張感の中で進められていますよ。すごい進歩です!」とできるだけ具体的に見たまま感じたままを言います。真剣勝負です。

 T小学校では昨年度78回の授業公開があったように,N校長さんの願いを越えての授業公開が行われるようになってきたのでした。先ほど外部の学校の先生方も参観に来ると書きましたが,N校長先生は,市内の各学校にT小学校の「今月の授業公開日」を公表しているのです。校内だけのことにするのではなくて,広く世間に問うていく姿勢を持っているのです。

6 5年間のかかわりから感じること

 私がT小学校に関わりだしたのは,5年前からです。その頃はK校長先生でした。女性の校長先生でした。彼女は彼女が新任の頃,私と一緒に同じ職場で仕事をしたことがありました。その学校は市内の中心校で,授業実践を含めてきわめてはりあいのある緊張感の高い実践を積み上げていました。

 その頃のK校長さんは,新任教師としてひたむきに動き,仕事をたのしんでやっていました。でも授業は悲惨です。そんなK先生に私はかなりきつい言葉を浴びせて,涙ぐむシーンも何度もあったようです。私自身はそんなことはすっかり忘れていたのですが……。

 そのK先生がT小学校で校長職に就いたときから,私はこの学校にかかわるようになったのです。K先生が校長になった当初は,かなり危うい学校の状況でした。保護者のクレーム,子どもたちの粗野な言動,学級が壊れるような危うさに,K校長さんはへとへとになっていたのです。「前田先生,たいへん恥ずかしいですが,これが私の学校の現状です。先生に導いてもらって,私もがんばりたいです」K先生は,心底真剣になって取り組んだのです。

 そんなT小学校の現状を再建するには,「授業しかない!」とK校長先生は思っていたのでした。それで私も参加して一緒に2年間がんばったことでした。

 N校長先生は,そのK校長さんの経営を受け継ぐ形で今行われているのです。よく校長というトップが代わると学校の経営にぐらつきが起きると言われますが,K校長さんからN校長さんへのバトンタッチはきわめてスムーズであったとも言えるのです。

 もちろんT校長さんの頑な信念に揺らいだ時期もあります。しかし,ほんとうに,この5年間で見事に,学校づくりが「授業実践を核に」行われてきたのです。

 K校長さんと,N校長さんに共通することは,「ふだんから,よく教室へ足を運ぶ」「校長室が談話室になって授業実践の語り場になっている」ということです。K校長さんもN校長さんも口ばかりのトップであったら,教師たちは到底真摯に授業に向き合わなかったと思います。朝の「友だちの話」というスピーチから始って授業中での訪問,帰りの会までの教師たちの仕事に目と耳を傾け,実に親身になって苦楽を共にしてきたことが,最大の経営手腕になっていたのです。


 T小学校の教師たちは,私のひいき目か,とてつもなく明るいのです。授業後の全体協議会も年に3回程度設けられていますが,そんなときの議論はもうたいへん!! すごい白熱です! 感動を伝え,びしりと批判をして,「学びの共有化」が図られています。そんな会に私も参加させてもらえることを歓びにしています。(蛇足ですが,K校長先生は,退職後市の授業アドバイザーになり,相変わらずT小学校の授業をはじめ,市内の学校で授業の技量を磨く若い教師たちと苦楽をともにしています)






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