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中学校に求められる,教科の壁を越えて「学び合う」現職教育研修
―我流の授業の乱立する学校現場―
達人教師・前田勝洋の学校行脚・その18

1 今,中学校の現場で,教科を越えた現職教育研修が始まっている
2 我流の授業を生み出す「教科主義的現職教育研修の弊害」を考える
3 「学校の荒れ」と「我流の授業の横行」
4 「しろうと目線」で見て,おかしい授業はやはりおかしい
5 教科を越えた「学習規律」「学習方法」の共有化を
6 学校全体で,教科を越えて授業改善に動き出すことの意義


1 今,中学校の現場で,教科を越えた現職教育研修が始まっている

 ここ数年,中学校を訪問していて思うことは,「中学校現場の現職教育研修が変わってきた」ことです。
 それを一言で言えば,「それまでの教科別の現職教育研修から,教科を越えての現職教育研修への進化」とでも言いましょうか。私は敢えて「進化」というのは,当然のことながら,歓迎すべきことだと思うからです。

 これまでの中学校の現職教育研修,とくに授業研究を核にした研修では,国語科は国語の免許を持った教師たちのみでの研修,数学科はまた数学の免許を持った教師のみという傾向がずっと続いていました。

 小規模校の学校では,各教科の教師の人数も限られています。だから,国語科と社会科の教師が同じ部会を構成して,数学科と理科がまた同じ部会をというような形で運営されてきていました。いわゆる文科系と理科系ですね。中には,社会科と理科は同じような「問題解決学習を志向する」ということで,同じ部会を構成する学校もありました。

 それでも結局は教科主義の壁を取り払うことなく,現職教育研修は行われていたのです。美術,体育,技術・家庭科などは技能教科という枠組みで括られていました。

 そんな中学校での授業実践では,他教科の教師が,別の教科の授業のやり方に口出しすることは,タブーであったのでした。「教科の専門性」という名のもとに「高い壁」があったのです。

 それが,ここ数年「変化してきている」と思わせる中学校現場が増えてきているのです。それは,一言で言えば,「教科の枠を超えて,授業を考えていこう」「学級経営の基盤に立って,授業実践の学習規律や学習方法を考えていこう」という現れです。私は,それを「たいへん歓迎すべき動き」として,評価したいと思うのです。

2 我流の授業を生み出す「教科主義的現職教育研修の弊害」を考える

 もともと中学校の現場では,授業研究が馴染まない傾向にあります。受験対策とか部活動の指導とかに追われて,「教師の授業の在り方を研究する」ことから教師たちが逃げる傾向にあったのです。いわゆる詰め込み教育が幅をきかせて,生徒主体の学習活動を敬遠していました。各教科の授業についても,管理職は,学力点の上がり下がりには関心があっても,一歩踏み込んで「授業がどのように行われているか」まで,踏みこんでいこうとはしていませんでした。

 そんな現場でも,社会科教師として,腕を磨く教師もいましたし,理科の探究的な授業を追求することに熱心な教師もいました。しかし,それも所詮は,その教師だけの財産として「A先生の授業は,理科の授業でも実験が工夫されていておもしろい」「B先生の英語の授業は,とてもたのしい」という評判でしかなかったのです。せいぜい広がりがあっても,その教科の枠を超えるものではありませんでした。

 このような「教科主義的な授業研究」の在り方は,今でも多くの現場では主流かもしれません。各市町の教育委員会では,「教科指導員」という制度があります。いわゆる「専門教科ごとに,授業指導をするスペシャリスト」を選任して,勤務地の市町の各学校を訪問して,教科の授業指導をするのです。それらの指導員は,自らが磨いてきた「授業法」を広める一方で,時流に乗った「今時の授業実践の在り方」を啓蒙することを役目にしています。私は,この「指導員制度」は,それなりに意義のあることだと思っています。

 その場合,現場での指導員訪問の受け皿としては,英語の指導員が訪問するときは,英語科の教師のみへの指導であったり,体育科の指導員の訪問の場合は体育科の教師のみへの指導であったりする傾向になっています。これは一見合理的で,専門性を重視した「学びの場」になって,それなりの成果を生み出してきています。

 しかし,同じ学校に勤務する同僚でありながら,教科が異なると,「C先生の授業をいままで一度も参観したことがない」「数学の授業で何をやっているか,どんなやり方でやっているかは知らない」という妙な現象を生み出してきたのでした。いわば,教科主義的な現職教育研修は,「それぞれの教師が,それぞれの教科で我流の授業実践を行っている」ということになってきていました。

 「我流の授業」の横行は,どのような問題点があるのでしょうか。その第一は,英語の授業をする教師の授業のやり方と,国語科の授業をする教師の授業の進め方が,異なるということです。多くの生徒は,「教科が違えば,授業のやり方は違うものだ」と思っています。ただ,中には,教科ごとに授業のやり方が微妙に異なることに違和感をもっている生徒,混乱をしている生徒がいることも事実です。いわば,『生徒目線』で授業を見ると奇異な傾向とさえ,映ることも多々あると思うのです。そこに「教科主義的な現職教育の弊害」を感じざるを得ないのです。

3 「学校の荒れ」と「我流の授業の横行」

 「教科主義的な現職教育の弊害」も,生徒への影響として立ち現れないうちは,そんなにも大きな問題にはなりません。授業のうまい教師,授業に熱心な教師を当然のことながら生徒は信頼し,尊敬することはあっても,それ以上に事態が変化しなければ,さしたる問題にはなりません。

 ところが,授業に未熟な新任教師の授業とか,教え込み中心でマンネリ化した授業をする教師の授業は,当然のことながら,生徒からも軽蔑や冷たい視線,不満の目で見られることになっていったのです。「あの先生の教え方はさっぱりわからん」「授業がつまらなくて眠い」「いつも同じやり方で飽きてきた」「K先生は怒ってばかりで,あとは宿題が多い」など,その学校の,授業に弱い教師の授業から「生徒の反逆」や「授業からの落ちこぼれ」が起きていったのです。

 それはまさに「学校の荒れ」につながっていくものでした。我流の授業で大して授業技術を研鑽していない教師の授業から明らかに離反者が輩出してきたのでした。これはまさしく由々しき事態です。それでも多くの学校は,その問題を「生徒指導の問題」にすり替えて,「授業改善」に動きだす学校は少なかったのです。はっきり言って「授業がおもしろくない!」と叫んでいる生徒のサインを見落として,生徒の「無気力さ」「無関心さ」に責任を転嫁していたと言えましょうか。

 不登校の生徒の増加の問題も,非行化する生徒の増加も,たいへん憂慮すべき事態です。それらの問題がすべて授業実践に起因するとは,私も思っていません。生徒を取り巻く家庭や社会的な原因など,複雑な要因が折り重なって,その生徒の素行を生み出してきていると思います。

 にもかかわらず,そこで議論を停めてしまったら,教育の無力さ,教師の指導の限界を容認したようなものです。学級経営,学年経営を基盤にしての「授業改善の在り方」に目線を移さない限り,学校崩壊すなわち「学校の荒れ」は,防ぎようのないこととして,無力感をあらわにしてしまうのです。

4 「しろうと目線」で見て,おかしい授業はやはりおかしい

 ここ数年,私のところへ中学校の現場から,「一度本校の授業実践の仕方について,ご指導をお願いします」と依頼が多くなってきました。私は,自分も中学校に勤務して授業に取り組んだ経験をもつとはいえ,専門教科は社会科です。
中学校の国語科の授業も英語科の授業も……ましてや美術や音楽,体育となると,ずぶのしろうとです。そんな私が無免許運転を承知で,他教科の授業指導などおこがましい限りです。

 ただ,私には一つの確信があります。それは「しろうとがその授業を参観して,変だな,おかしいぞと思った授業は,生徒からもおかしい,変だなと思っているはずだ」という経験知です。それは別の言い方をするならば,生徒目線,それも「落ちこぼれ目線」とでも言えましょうか。数学の二次関数の教え方や,英語の関係代名詞の教え方がさっぱりわからない私でも,「こんな授業をやられたら,生徒は授業放棄してしまう」ということだけは,はっきりわかるのです。

 年間300時間くらいの授業を参観していると,国語とか体育とかを越えて,しろうと目線でも,その授業の善し悪しが見えてきます。

 私は学校を訪問させてもらって,授業を参観するとき,それがどの教科の授業であろうとも,教室の前の位置から授業を参観することにしています。もっと言えば,「生徒の顔つき,表情が見える位置で授業を参観する」ことを基本にしています。

 もちろん,その教師の語り方や表情,授業の進め方のくせ,板書の仕方など,気になる点は山ほどあります。それでも授業を参観する基本は,「前から生徒の表情,顔つきをていねいに見ること」にしているのです。それは,その授業の主体者である生徒たちが,「意欲を持って授業に参加しているか」を判断できるからです。どんなときに,生徒は授業に目を輝かすか,どんなときに飽き飽きした表情をするか,見届けることができるからです。

 あとの協議会で,ときどき授業者に問うことがあります。「授業者であるあなたが,この発問をしたときの生徒の表情があなたにどう見えていたのでしょうか」と。そんなとき,ほとんどの教師は「授業を進めることが精いっぱいで,生徒の表情まで見えていませんでした」と。ここにこそ,大きな悲劇,大きな亀裂があると思うのです。

 授業は「生徒が進んで参加してこそ,ナンボだ」と言うのが私の信条です。生徒の参加を無視して(この表現は適切ではないですね。生徒の参加態度が見えないままに,ですね)平気で授業を進める無神経さが,私には気になります。「そこをどうにかしてほしい」と私は叫ばずにはおれません。

5 教科を越えた「学習規律」「学習方法」の共有化を

 私が各地の学校を訪問して、バカ一徹に貫いていることは,「生徒の授業への参加度を高める手法の開拓」です。どうしたら,生徒がやる気になるか,やろうとするか……いや,やろうとはしないまでも,「やらなければならない」という自覚をもつかが,私の関心事です。

 それには,「参加度」を高めるための授業方法の改善が何よりも優先されます。

それを私は「学習方法を教師が学ぶ」ことに焦点をあてています。国語科でも,英語科でも,授業のやっている中身は異なるけれど,教科書(テキスト)を読むことでは共通点もあります。そんなとき,「指読み」という文章やセンテンスを人差し指で押さえて読む方法を提唱しています。「文字から目を離さない」手法です。
 また,指示を一度したら,二度三度言い直しを決してしないこと,ベルタイマーで考える時間を保障して「問題に挑戦する時間を確保する」こと,板書は三色のチョーク(白,黄色,赤色)を使用して構成するなど,基本中の基本のような学習方法を,どの教科でも共有化していくことによって,生徒の学習方法のリズムを安定的なものにしていきます。

 「学習規律」としては,挙手するときは黙って挙手する,「はいはい」と声を出さない,教師は生徒の目線がきちんと教師を向いていることを確認してから(アイコンタクトと言います)指示や発問をすること,延長授業を絶対しない,きちんと授業終了10分前には,本時に授業の着陸態勢に入る,独り学習をする時間と話し合い隊形になっての教室の生徒の座席を切り替える,生徒を呼び捨てにしないなど,どの教科でも同じように「学習規律を共有化する」ことです。

 それは,ベテラン教師にはある意味で辛いことです。いままでの我流で会っても,それなりに馴染んできた授業のやり方を否定されることになるからです。
むしろまだ若い何も失うものがない教師には,抵抗なく習得できます。学校はそういう若い教師,ベテラン教師,授業に関心の高い教師,無頓着な教師で構成されています。

 だからこそ,「授業改善を足元から見直すこと」を教科の枠を越えて取り組む必要性が生まれてきたと,私は強く言いたいのです。

6 学校全体で,教科を越えて授業改善に動き出すことの意義

 教科を越えて授業改善に取り組む中学校が増えていることを,私は心から歓迎している,喜んでいるのです。それは,やっと「生徒の育ち」の視点から授業改善が行われるようになってきたと思うからです。

 ある中学校で英語の授業を参観していた他の教科の教師が,「J君は,私の授業ではまるでやる気が見られないけれど,英語ではキチキチとした目つきでやっていたので,驚いた。もう少しでJ君はやる気のない奴だと決めつけるところでした。悪いのは私の授業に問題があるのだと思いました。ありがとうございました」と,反省の弁を述べました。それはさわやかな同僚性の開花であり,教科を越えての授業改善の動きを予感させるに十分な発言でした。

 また,ある学校では,「私はまだまだ学習規律へのこだわりが弱いなと,きょうの国語の授業をしたI先生の授業を見て思いました。真剣に考えたいな,根気強くやりたいなと思いました」という発言もありました。

 またある学校では,「Uさんは,一年生の頃には,あまりやる気も見られなかったけれど,きょうの技術・家庭科の授業を参観して,思いもよらぬ彼女の表情に接してうれしくなりました」と感想を言う教師もいます。

 それらの発言の中に見られる感想や反省の弁は,そのまま「生徒の育ちを授業の中心に据える営み」になっていったのです。

 教師はみんなみんな義務教育を終了し,それなりに高等教育を受けてきたのです。その教師が専門性を磨くのは大事なことですが,他教科に関心を示さないことになったら,自分の教科だけの殻に閉じこもった「専門性目線」の授業の横行になります。それはまさしく「我流の授業の乱立する学校現場」を現出します。

 私たちは,今こそ教科の枠を超えて,「学校の授業の在り方を考えていく時期」になってきているのではないでしょうか。そんなことを思うこの頃です。





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