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前田勝洋 教育を拓くH
講師の立場で情熱溢れる実践をする「教師魂」に学ぶ


20年間以上に及ぶ講師歴
講師だからできること,言えること
ズルをする人間にはしたくない!
挫折と葛藤の中で,信頼を得ていく


 現在の学校現場には,正規の教員ではない,いわゆる「講師」または「非常勤講師」という立場の教師が,たくさんいます。そんな講師さんが,苦境に立っている学校現場を支えている場合も少なくありません。

 学級補助員,拠点校指導員,産休・育休補充教員,療養休暇補助教員など,ほんとうにたくさんの方々が,学校現場に関わっています。その多くの講師さんは,学校にとってなくてはならない存在になっていますが,保護者の中には,「私の子どもは,今年度は講師の先生が担任になった」と落胆している場合もあります。確かに講師さんの中には,正規の教師に比べて,指導の仕方が稚拙であったり形式的であったり……見るからに危うい事例もあります。

 私が今回紹介する事例は,講師でありながら,長年に渡って教育実践を献身的に行ってきたO先生の場合を取り上げます。O先生が,正規の教員をはるかにしのぐ実践を積み上げて,保護者や担任する子どもたちから,ずっと慕われ,担任を離れてからも,よき相談相手になってみえるのです。それは,なかなかできることではありません。O先生の教師としての実践活動は,正規の教師たちでさえ忘れている情熱溢れる指導法と,「人間は信じられる者」という信念が,両輪になって行われてきたのでした。


1 20年間以上に及ぶ講師歴

 O先生は,今現在も,講師として小学校に勤務されています。還暦をすでに過ぎているO先生への信頼は,その学校の管理職の先生方には,絶大なものがあります。O先生自身も,教師という仕事をすることが,大好きでした。

 O先生は,大学を卒業して正規の教員として採用されました。しかし,同時に結婚生活をスタートさせるということで,当然のように出産になったのです。大きな未練を残しながら,O先生は,教員を辞めました。それは責任感の強いO先生には,教師という仕事と育児ということを両立させることは,できないことだったのでした。

 それから,10年間の子育て期間を終えてしまうと,O先生の教師としての仕事への思慕がふつふつと噴き出してきたのでした。当時は今のように,学校現場に「非常勤講師」として勤務する職種は限られていました。正規の教師の療養休暇,産休・育休補充,学級編成上子どもの転出入で正規の教員を採用することの危ぶまれる学校でのいわゆる「期限付教員」などくらいしかなかったのです。

 O先生は,どんな仕事でもいいと思いました。まだ自分の子どもも幼いこともあって,いきなり正規の教員と同じのような一年間の勤務には,やや不安もありました。3カ月の療養休暇教員の補充,突発的な事故での補充を手始めにして,仕事を再開したのです。

 少しずつ家庭と職場の両立に自信を得ながら,翌年から,U小学校に期限付き教員として勤務することになりました。「私は,そのときに出会った校長先生とのやり取りが忘れられません。『あなたの立場は,講師だけれど,子どもの前に立ったら「先生」です。職場のみんなも分け隔てなく一緒にやりたいと思いますが,どうでしょうか』それは私にとっては,願ってもないことでした。『よろしくお願いします』ときっぱり言ったことを思い出します」と。

 O先生は,現職教育研修の研究授業も率先して立候補しました。教育実習生を担当する指導教師にもなりました。またある年には,学年主任を任されて無事にその大役を果たすことにより,大きな成果と保護者や子どもたちから,厚い信頼を得たこともありました。何よりも正規の教師たちにとっては,「講師である先生があんなにもがんばっているのに……」ということで,学校全体が,O先生がいることだけで活性化していったのでした。

「10年間のブランクは,とても大きかったですが,教師として働けることの歓びがはるかに上回って,U小学校での5年間はあっという間に過ぎていったのです。その後,今に至るまでに,4校で,勤務しましたが,それぞれ2年,4年,6年,5年と,同じ学校に勤務して仕事をしてきたのでした。


2 講師だからできること,言えること

 講師という立場で,こんなにも長きに渡って学校勤務を続けている人は,そんなにはいないと思います。O先生は言います。「途中で教員採用の年齢制限がゆるくなって,私も正規の教員になろうかなと思いましたが,結局思いとどまりました。それは,私は一年一年を勝負していく今の立場が好きだということだからでした。」「もちろん,ある学校では,私を含めた講師の立場の人たちに,冷たい視線を投げかける人もいました。そんなときは,何くそ! と思ってやってきたのです」O先生の眼光が輝きます。

 「正規の教員になれば,仕事も安定して,それはそれでやりがいも生まれてくることでしょう。しかし,逆に正規の教員になって,まったく努力をしていない教師を見ると,腹が立つよりも,悲しくなります。」「私は,校長先生にも,教頭先生にも,保護者にも,私の願いを伝えるときには,一生懸命心を込めて話したり聴いたりしてきました。人間は,わからず屋とか言うけれど,この立場で,一心不乱に語り,聴くことを通して『人間は信じられる者』という感を強くしています。」「校長先生にも,もっと教室へ来てほしい,授業を参観するだけではなくて,校長先生にも授業をやってほしいと無茶なことを言ったこともあります。それはその校長先生には,わかってもらえるという信頼関係があるような気がしたからです」

 そんなO先生の言動に接すると,いまどきの教師のみんなが,一番忘れかけている教師の本分を思い出させてくれるのです。義務的に,「甘く冷たい教師」になっている教師から,脱皮していかないといけないと発破をかけられる思いがしてくるのです。

 私は,O先生の授業を2回ほど参観する機会に恵まれました。その授業は国語と総合的な学習の授業でした。そこで見られた光景で,心打たれたことは,「子どもたちを授業参加させて,育てていきたい。」「みんなで創る授業のおもしろさをどの子にもわからせたい」というO先生の執念にも似た「教師魂」でした。

 今,O先生の実践記録簿をひも解いてみようと思います。

 「寒くなってきたのに,寺田さんや山口君は渡り廊下で雑巾がけを一生懸命やっている。あんなに吹きっさらしの冷たい風が吹く場所で,冷たい雑巾を絞り,がんばっている様子に感激した。思わず,その子らの手を握って,さすってあげた。冷たい手だった。帰りの会でみんなの前でほめてあげたら,にっこりうれしそう。真面目にがんばっている子を見逃してはならない」

 ここには,O先生の真面目で陰ひなたなくがんばっている子どもに対する温かい視線があります。こういう鋭敏な感受性が,O先生の何よりの持ち味であると私は思ったことでした。O先生は確かに厳しい先生として子どもたちにも,受け止められています。でも,この優しさも,子どもたちは,O先生がいつも「私たちに注いでくださる」ことを知っているので,みんなO先生が大好きでした。

 
3 ズルをする人間にはしたくない!

 O先生の授業を参観していると,よく見られる光景があります。それは,指名されたり何かを指示したりした子どもが,急にものが言えなくなってしまうことがありました。そんなとき,O先生は,カンタンに次へ進みません。じっと待っています。その子が,自分で乗り越えることを待っているのです。それはとても長い時間のように感じることでもありましたが,O先生は決して容赦はしません。「待つことを通して,子どもの成長を期待する」ことに,賭けていったのでした。宿題忘れをごまかす子どもにも容赦をしません。

 「私は子どもたちに厳しい先生だと言われることがあります。でも乗り越えていったときのその子の充実した顔を見ると,我慢して待っていてよかったと思えます」と笑顔いっぱいにO先生は語るのでした。

 ただ,そう書いてくるとやっぱりO先生は厳しい先生だということが先に立ちます。ここに一つのO先生の教師メモを取り上げます。

 「沙織さんは,あまりしゃべらないので,ノートに書いてあることを読むだけでもいいからと思って指名した。ただノートに書いてあることを読むだけだと思ったのだが,なかなか読まない。そばに行って手を握ってびっくりした。ぶるぶる震えている。この子にとって,ノートを読むことすら,震えるくらい恐怖感の伴うことだったのだ。私はただしゃべりなさい,しゃべりなさいと言っているだけで,なぜ話さない,話せないのかを考えなかった。私は,まだまだ子どもたち一人ひとりの気持ちを考えていない。子どもの気持ちが見えるようにならなければと思う。」

 ここには,O先生が自らを戒めるように悔恨している姿を読みとることができます。O先生は,そういう先生だからこそ,子どもたちからも保護者からも信頼のまなざしをもって迎えられているのでした。

 もちろん,そんな子どもへの追い込みに,保護者から,たいへんな剣幕で怒鳴られたこともしばしばありました。「なんでうちの子どもをそんなにまでして,いじめるのだ!」「笛の練習をそこまでやらせる必要はない! いい加減にしろ」と。それでもO先生は,その父親と正面から向き合い,担任教師としての熱烈な思いを語るのでした。そんなO先生の単純明快な願いの語らいは,ほとんどの保護者を感服させるものでした。

 O先生は言います。「私は人間を信じたいのです。私も子どもの親ですから,親の願いや苦労もわかります。でも,親には立場上できないことも,教師である自分が担任の子どもへ,出来ることがあるかもしれません」「私はズルをする子どもにしたくないのです。逃げてごまかして生きていく子どもにしたくない」私はその言葉を聴きながら,学校への信頼が失われている時だけに,なんとしても,学ばなくてはならんと思ったことでした。


4 挫折と葛藤の中で,信頼を得ていく

 O先生のことをこう書いてくると,何も障害物や挫折することなく,順調に進んできたようにさえ,思えます。O先生にもたくさんの苦い思い出や挫折を感じることも多々あったのでした。

 学芸会の役割を決めるときに,オ―デイションを行って決めることにしていたO先生は,いつも最後は,子どもたちの判断にまかせることを決定事項にしていました。ある年の学芸会の役割を決める時に,ある女の子が,すごく上手な台詞の言い回しをして,当然その子が,選ばれるものだと思っていたところ,選ばれませんでした。

 たかが学芸会の配役決めです。それでも子どもたちには一大事です。保護者も力が入ります。不可解に思いながらも,O先生は最初の約束通り子どもたちの裁決に任せたのでした。その晩,その子どもの親から電話がありました。「先生,私の子どもがみんなから疎外されていることをご存知ないのでしょうか」あとは涙声になってよく聞き取れなかったけれど,O先生は,「うかつだった」と思ったのです。

 その後,学芸会の役割決めを先送りして,「いじめの問題」を慎重に取り上げ,解決に至ったのです。「私には,子どもがよく見えているようで,まだまだ何もわかっていません。そのたびに,保護者や子どもたちに謙虚になって謝ります。だって自分が知りえなかったことですから」そんなO先生の姿勢は,保護者や子どもたちの共感を呼んでいったのでした。

 また,こんなこともありました。
 冬になって持久走が校内マラソンを兼ねて行われることになったのです。O先生の学級に,とても肥満体な男子の子どもがいました。
 ある晩のこと,その保護者から,電話がありました。「先生,子どもが学校へ行きたくない,マラソンに出たくない,死にたいと言っています。どうしてくれるんですか」時間はすでに午後9時を回っていましたが,すぐにO先生は,家庭訪問をしたのです。子どもは,パジャマ姿で出てきました。母親はまだ剣幕おさまりがたしの表情でした。

 O先生は,車に子どもを乗せて,ドライブしながら,子どもの言い分を聴いたり,子どもに語りかけて行ったりしたのです。その子どもの言い分は,自分はどうやっても早く走れない,呼吸が苦しくなってつらい,みんなががんばれ,がんばれと言ってくれるのがつらい・・・など,ポツリポツリと語りました。

 O先生は車を止めて,自分が幼かった時に,股関節を痛めて,歩くこともままならなかったときのことを話しました。「先生もよしくんと同じで,とてもつらかった」「走りながら,泣けてきたこともあったよ」「でもね,やっぱり走らないかんと思った」「よしくんが,どうしてもつらかったら,持久走を見学してもいいよ」「明日の朝まで考えて,先生にどういう気持ちになったかを教えてくれないかなあ」O先生は,決して子どもを追い込むことなく,その晩は,帰宅したのでした。翌朝,よしくんの明るい顔が教室にありました。「先生,ぼくさあ,がんばる」O先生は,よしくんを力いっぱい抱きしめて「いい子だ,いい子だ」と頭をさすってやったのでした。


 私は,O先生の授業を参観したり,実践記録を読ませてもらったりしながら,いまどき多い,「甘くて,冷たい教師」ではなくて,O先生こそ,「厳しくかわいがる教師だ」と思ったことです。

 O先生の勤務している学校では,どうしたことか,「O先生が,あんなにもがんばってみえるのに,私たちが怠けていたら申し訳がない,それはとても恥ずかしいことです。」「O先生の学級での授業を参観させてもらいたい。なんであんなにもがんばる子どもたちになるかを,私のクラスの子どもたちと一緒に参観させてほしい」と職場が,まさに活性化していく光景を目にすることができます。


 私は思います。O先生のような講師の先生は,稀有な存在かもしれません。しかし,「教職の仕事を天職と感じて,心底打ち込んでいる講師の先生」は,ほかにもみえます。そんな講師職の方々に温かい制度改革がなされて,学校現場に,明るく情熱あふれる風が流れることを期待せずにはおれません。

 O先生は,今は特別支援学級の担任として,日々奮闘しています。






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