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困難校に赴任したY校長の捨身(しゃしん)の学校経営
―達人教師・前田勝洋の学校行脚・その14―

1 予期せぬ異動
2 下座に生きることに徹する
3 「捨身」で勝負する!
4 学校運営に悪戦苦闘するY校長
5 慈愛の顔で,眼差しで

 学校現場でつきものなのが,定期人事異動です。学校経営が少し軌道に乗ってきたところで異動を強いられたり,あるいは意に添わない学校に配置転換されたり……となかなか思うような学校経営ができない場合も出てきます。Y校長さんも,そんな一人です。困難な学校に赴任して,どんなきっかけから,Y校長さんは,一念発起して学校経営に当たられたのでしょうか。

1 予期せぬ異動

 「Yさん,今度の異動でS中学校へ赴任していただきます。」
 Y校長さんは,まるで他人事の話を聞くような面持ちで教育長の辞令を受けていました。まったく予期せぬ異動であったのです。

 その頃のS中学校には,組合の勢力が強くあらゆることで管理職と対立している職場になっている状況がありました。非組合員を含めて,学校経営そのものが行き詰まった状態になっていたのです。
 教職員の間でもうわさになっていましたし,地域の保護者を含めた市民にも話題になっていました。前任校長も,そのまた前任校長も,かなりの辛酸を舐め,不本意のまま退職されたというのが,うわさの中身にありました。その学校に赴任辞令が出たのです。

 教職員が一体感のないままに,学校運営していたら,その学校の生徒たちの「荒れは常態化している」という状態だったのです。授業が成立しないということよりも,教師たちがみんなあきらめているような,投げやりな授業をしている状態だったという評判が広がっていました。学区の人たちも,半ばさじを投げたような状態であったのですが,そのことを市議会議員や区長たちに訴えて,学校を糾弾する雰囲気になっていたのです。

 「辞令が下りた以上,引き下がる勇気もありませんでした。宮仕えの身である自分を,受身の存在でなんの抵抗もできない自分が哀れというか……とにかく不安感があれほど襲ってきたときはなかったですね。」
 「S中学校の事情を事前に聞けば聞くほど,深いため息とも,心ココにあらずのような焦燥感に,……疲れて,自分も心を病むのではないかと……それでも辞表を出すことは考えなかったですね。」
 Y校長さんは,五年経った今,懐かしさと安堵の思いで当時を思い出すのでした。

2 下座に生きることに徹する

 予想はしていたものの,最初の職員会議から紛糾しました。議題の内容は大したことではなかったのですが,新規の事業にはことごとく反対の意見が激しく飛び交いました。まさに管理職はたじたじという戦況でした。
 とにかく「そんな行事を増やしたら,ただでさえ,みんな授業が成立しないで困っているのに……ふだんの授業がおろそかになって……今でもみんな心労を抱えて喘いでいるのに……校長さんは,どう思われるか」と詰問されるのでした。

 シラッとした雰囲気が空間を支配しました。ところが,それを聞いていたY校長さんは,自分が冷静になって意外にも落ち着いていることを自覚しました。
 「確かにあなたの言われるように,日々の授業がおろそかになっては,教師の仕事のもっとも重要な課題が抜け落ちてしまうことになります。わかりました。やめましょう,その行事は。」Y校長さんは自分でも優しい目つきで語っていることが不思議でした。発言者は校長の潔さに一瞬あっけに取られている顔つきになっていました。

 「あのとき,私は不思議な感じがしていました。それは神の声だったのでしょうか。組合員であるからとか考えるのではなく,ひたすら子どもを育てる教育の軸を揺るがせにしない教育実践を推し進めていこう! そのためには誰の意見も偏見や排除の気持ちではなく,丁寧に聞いていこうという強い決断が私を後押ししてくれました。」
 Y校長さんは,遠くを眺めるような愛しい眼差しで語るのです。

 「要するに,私がリーダーだから,なんでも引っ張っていかなくてはならない,というような変な責任感は拒絶されます。そうではなくて,この職場にいる一人ひとりの教職員がこの学校を創っていく責任者なんだという意識こそ重要なことなんですね。」
 「そのためには私が上座から指示したり命令したりするのではなく,むしろ下座にいて,みなさんの一番いいやり方でやってもらう。検討してもらうという姿勢ですね。」

 「教頭さんや教務主任は,そんな私(校長)の姿勢を不安がっていましたよ。なぜならば,学校運営が危機的な状況に陥って,相手の思うままになって……学校が彼らに乗っ取られるのではないかと。」
 「でも私は信じていたのです。彼らだって教師になった初心はあるはずだ。教師としての生きがいがあるはずだ。相手は私(校長)を信じていないでしょうが,私はだまされてもいいから職場のみんなを信じる!」
 優しい顔つきのY校長さんの眼光が鋭く光った瞬間でした。「責任は私にすべてある。どうか,焦らずに心配せずに……」Y校長さんはそう言って教頭や教務主任の気持ちをなだめ,労をねぎらったということでした。

3 「捨身」で勝負する!

 Y校長さんはそうは言ったものの,やっぱり眠れない日々を送ったのです。彼らは管理職が困ることがねらいなのです。確かに信じると言ったものの,果たして……そう思うと頭の中にこれはという決め手が見えないままに呻吟する自分だったのです。

 そんなとき,Y校長さんは一冊の本と出会いました。それは芭蕉の『奥の細道』でした。恥ずかしながら,その作品は知っていたものの,いままで原文はおろか概要さえ知らない有様だったのです。それを今手にとる,その心境はなんだったのでしょうか。

 「芭蕉が今の東北地方を俳句を作りながら,旅したことを記した紀行文くらいの思いしかありませんでしたね。ところが読んでいくと……当時の東北は白河の関以北はまったくの未開の地だったのですね。野蛮な豪族や盗賊の暗躍している未知の奥地であったのですね。そこに行ったのはなぜか。私はハッとしたのです。芭蕉は捨身行脚の旅に出たのですね。芭蕉は人生と旅を重ねながら,……。」
 「確かに私はいままでいた学校は住みよかったし,何の大きな心配もなかったでしょう。しかし,それでは同じビデオテープを,繰り返し繰り返し見ているような自分の人生であることに気づきました。」
 「きっとS中学校に私を送ってくれたのは神の仕業ではないか。もっともっと私に試練を与えて,未知なるドラマに遭遇せよ……と。」
 「芭蕉の旅は観光ではないのですね。未知なる奥地への捨身行脚の旅なんですね。精進一筋の旅であったことを読んで教えられ……ほんとうにほんとうに大きな衝撃を与えられました。」

 Y校長さんは,いままでの自分が恥ずかしいと思えると同時に,「ようしS中学校で私は捨身を持って日々の学校運営に当たる」と決意したのでした。

4 学校運営に悪戦苦闘するY校長

 私とY校長さんが出会ったのは,そんな時期でした。Y校長さんは,「私はほんとうは,学校経営を四役(教頭,教務主任,校務主任と校長)で相談して,やっていかないといけないのですが……どうも教頭さん以下は,ほんとうの意味で,私の決断にイエス,ノ―を言えないのですね。」
 「これは,私自身の問題でもあるのですが,直属の上司である私に,なかなか意見を言えないのも立場を考えれば,わかる気がします」
 「そんなことで,前田先生にぜひとも私のやり方でいいのか,率直にご判断していただきたいのです。」
 Y校長さんは,懇願するような顔つきで,私に言いました。

 私もまったくY校長さんの学校経営について,自信のある判断はできません。「Y先生の話を聴くくらいの役目しかできませんが,そんなことでよろしかったら」ということで,引き受けたのでした。

 Y校長さんから,学校の実情をあれもこれもお聴きするということから,始まりました。生徒の荒れた行動は授業崩壊のみにとどまらず,非行問題で校外にも広がっていました。不登校の生徒の多いのも,学校に「居場所」がないためだとY校長さんは話されます。

 もともとこの学校が崩れて行ったのは,教職員の中の不協和音が大きな要因です。とくに管理職としての四役との大きな溝が,不信感を増幅しています。

 私は「他人事のようなことを言って恐縮ですが,今先生がおっしゃったような原因を,先生がつくったのでもありません。S中学校の現状は絶体絶命であり,大きなマイナスからの出発ですが,これ以上悪くなることはないのではないのでしょうか」と言いました。ほんとうに私にはそう思えたのです。

 「悪戦苦闘をすることばかりになるでしょうが,Y校長さんが,教職員に真剣に向き合い,共感できることは素直に共感して,これだけは譲れないことは,地に頭をつけてでも,教職員にお願いして……まずは,そこが第一歩ではないのでしょうか。」
 私には,Y校長さんの当事者としての苦しみを思いつつも,Y校長さんの言動つまり姿勢いかんでは,暗夜に道が開けるかもしれない」と思ったのでした。

 Y校長さんも「やってみます。何も護るものはありません。捨て身で挑んでみたいです」と力強く言われたのでした。それから,Y校長さんの悪戦苦闘で逢っても真摯な教職員や生徒への立ち向かいが始まっていったのでした。

5 慈愛の顔で,眼差しで

 「今度の校長さんは,違う。」「真っ向から生徒を育てることに命をかけている。」多少オーバーな噂も先行するほど,Y校長さんの言動は大きな波紋を投げかけていました。
 まず,生徒に対してとても温かく厳しい。いや,とにかく朝のあいさつ一つが,実に自然でありながら,生徒に丁寧にお辞儀をしている光景。肩を抱き,握手をしながら,廊下で談笑する姿。その一つ一つが教師たちを震え上がらせていきました。

 教師たちにも,いつも慈愛の顔で,眼差しで……うんうんと本気でうなずき,耳を傾ける姿は,恐ろしいほど清廉であったと当時の教師たちが言います。
 Y校長さんは言います。
 「私は不出来な人間で終わるところでした。あの教師たちに出逢わせてもらったお陰で傲慢な自分にならずに済みました。」「私はとても弱虫です。闘いはまったく苦手です。だから,本気で自分に言い聞かせて『演技』し続けて……やっと少しずつ,自分がマシな人間になっていけたのだと思います」と。

 あれから3年が過ぎようとしています。
 今私は,ここまで書きつづりながら,まだY校長さんの格闘は続いています。しかし,事態は鮮やかなほど大きな改善を見せてきています。まず,器物破損があれほど多かった施設が,ほとんどなくなりました。教職員も,次第に表情が明るく柔和になってきています。殺伐とした職員室に笑い声が聴こえるようになってきています。

 私も請われるままに,授業参観することもできるようになってきています。以前のような拒否反応をする教職員ではなくなってきています。

 生徒たちが部活動の大会で,優勝してくることもでてきています。

 Y校長さんは,あと半年と来年1年で定年を迎えます。「前田先生,私の教師人生でのS中学校との出会いは,校長職での華になりつつあります。あと少しお付き合いくださるようお願いします」Y校長さんは,笑みをたたえながら,残された教師人生を全うする決断をされるのでした。






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