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前さの窓(前田勝洋学校行脚記)その1
はじめに
1 荒れた学校の苦悩
2 アイコンタクトの欠如した教室
3 シンプルイズベスト
4 教師が変われば,生徒も変わる

はじめに

梅雨入りして二週間が過ぎましたね。梅雨特有の蒸し暑さが肌にまとわりついてきます。何もしなくても,汗ばんできて,不快感が襲ってくるのです。

 今回,「前さの窓」を綴ることにしました。「前さ」というのは,私,「前田勝洋」が仲間から呼称される,「され方」の一つです。「窓」というのは,あまり意味はありませんが,私も学校現場にかつては勤務していました。その私が退職後,自然発生的に行ってきた「学校行脚」から,見えてきた「学校の様子」というところでしょうか。

 私は今年すでに誕生日が過ぎて,68歳になります。午年です。退職して8年目を迎えています。私の仲間の中には,退職後第二の人生を歩んでいた仲間も,ほとんどが今は自分の住んでいる地域の役職を務めたり,趣味に没頭したりして,「今を生きる」人生を送っています。

私もその一人で,ムラの役を請け負ったり,退職仲間の親睦会に加わったり・・・・それなりに忙しく,そしてたのしく暮らしているのです。

ただ私の場合,ひょんなことから,大学の教職の授業にかかわることになりました。退職後は,我が家に少しばかりある畑を耕して,それなりに趣味の欄に書けないような趣味をたのしんで,・・・・と夢を膨らませていましたが・・・・。

そのことに加えて,退職一年目の夏ころから,「前田先生,お元気ですか。一度先生に,学校の方へ遊びに来てくださいませんか」と後輩の現役のみなさんから,声をかけてくださいました。私は退職時に,格別学校の現職でいることに,未練はありませんでした。むしろ,現場が年年歳々難渋してきていることに,頭を痛めていた一人でしたから,「ほっとした」というのが,正直な実感です。

それでも,「前田先生にわが校の教師の授業を見て,指導してください」との声かけに,ホイホイと出かけだしたのです。まったく無計画に,後先のことを考えずに。

それがどうしたことか,いまだに続いているのです。いや,むしろあっちの学校,こっちの学校と,まるで「行商人」のように,学校の要請に応じてきたのでした。その回数が年間100回を越えるようになったのは,3年目頃からでしょうか。

その「行商」は,自分から押しかけて行ったことは一度もありません。ただ請われるままに・・・・続いたということです。

私が「行商している」学校には,一度だけの出逢いであった学校もありますし,もう退職以来,8年間も続いている学校もあります。8年も続いていると校長さんも3人目という学校も二,三の学校であります。校長さんも代わるし,教職員のみなさんも公立の学校である以上,異動があります。そんなことで,その学校に行くことは継続されていても,教師たちの顔ぶれは様変わりしているのですね。

今回,この連載を始めるにあたっては,そんな「行商生活」で「見えてきた学校や教師たちの姿」で,私が「ハッとしたこと」「心に深く残ったこと」を綴ってみることにしました。この連載もまったく無計画な出発で,ほとんど見通しや一貫した筋もないことでしょう。

ただ言えることは,「私(前田)が,元気をもらえた」「うれしくなった!」ということを綴ってみたかったのです。それだけです。それは読む方には「なんだ,そんなことか」とがっかりされるようなこともあることでしょう。その程度のことです。でも「私という窓から見えてきた景色」を綴ってみたいなと思うのです。

前置きがたいへん長くなりましたが,そんなことでのスタートです。もとより,みなさんのお役に立てるなどと考えてはいません。ただ昔教師をしていた老人の戯言であるだけのことです。

1 荒れた学校の苦悩

私が訪問する学校は,ほとんどが愛知県の学校,中でも三河の学校がほとんどです。滋賀や福井,岐阜,長野,静岡へも行ったこともありましたが,だんだん疲れるようになったことと,車の運転が苦手で,遠出が億劫になってきました。

小学校と中学校がほとんどで,だいたい小学校が全体の三分の二でしょうか。中学校は,訪問する学校のほとんどが,「研究発表会を2年後に控えていますから,指導してください」という前提のある学校です。いわば私に,「助っ人」的な役割を求めてきます。

でも中には,「学校が荒れているのです。生徒の学力もまったくつかなくて,なんとかしたいのですが」という校長さんの嘆き節に同情して「何の役にも立たないですが,話を聴くだけは・・・」ということで出かける学校もあります。

そんな学校の中に,M中学校がありました。今回は,その学校のお話をしましょう。

M中学校は三河部の中規模な街の学校です。その学校は,1000名程度の生徒数があって,いつも「荒れ」が常態化している学校として,「評判が定着」していました。S校長さんがその学校の校長さんになったのは,2年前。その学校で教頭職をやっていて内部昇格で校長職になりました。
「私は小学校勤務が大半で,中学校で,しかもこのような大規模校の校長には到底向いていないのですよ」「この学校の荒れは慢性化しているのです。だから,教師たちもたいへんな学校に来たという思いはあっても,仕方ない,耐えて行くしか方法がないという『諦め』がどの教師にも蔓延していて,無気力になっています」
「私は力も知恵もありません。でもあと3年をこのままずるずると過ごすには,しのびないのです。だから,なんとかしたいという気持ちで,前田先生にご指導いただきたいと思いまして・・・」
そんな出逢いでこの学校に行くようになったのでした。

2 アイコンタクトの欠如した教室

私は,もともと社会科が自分の免許教科です。中学校勤務の経験はあっても,英語や技術家庭科の授業の見方がわかるわけではありません。数学の授業は,私自身がその学習内容に,「落ちこぼれ」状態です。とてもじゃないですが,「専門的な指導助言」は,端から無理です。

ただ,私はその点を知りつつも,かなり「楽観的に」英語の授業,数学の授業を参観します。

その観る視点は一つ,それは,「しろうとの目線」です。それは別の言い方をすれば,生徒目線であり,それも落ちこぼれそうな生徒目線です。
「しろうとが,なんで英語の授業の講釈ができるのか!」と啖呵を切る教師にも出会ったことがあります。私はそんなとき,「英語の授業にはしろうとでも,そのしろうとが『変だな』 と思うことはやっぱり,どこか変なんですねえ」と言葉を返しました。

M中学校の教室を一日がかりで参観したのは,そんな「しろうと目線」だけを頼りにしたものでした。

一日がかりで,私のペースで教室を巡って思ったことは,ただ一つのことでした。それは,「生徒の目線が下がっている,下を向いていては授業がわからないのも当然だ」ということです。
もちろん,よそ事をしている生徒もいますし,寝ている生徒もいました。そして,もっと言うならば,「先生たちの目線が,生徒を見ていない」ということでした。私流に言うならば,「アイコンタクトの欠如した教室だらけ」ということです。
これでは,授業は成立しません。ざわざわした雰囲気の中で,生徒目線と,教師目線のぶつかり合いのないまま授業が行われているのです。

3 シンプルイズベスト

その日の授業後,全校の教師たちと協議会なるものを持っていただきました。「協議会」と書きましたが,要するに「前田の話を聴く会」でした。私は,その場で,別の中学校の生徒の書いた一片の生活記録を紹介しました。

オレはえいごの授業がきらいだ!
アイツは大きな声で発音せよと言う
オレはぼそぼそと言う
「ネクスト,プリーズ」アイツは言って次のヤツをあてる
たまにはやりなおしをしてほしい

私はできるだけ小声で語ります。
「この生徒は,その学校ではまさに非行生徒と呼ばれている生徒です」「授業中もほとんど教科書を開かないで,机に伏せている態度です」「やる気を外からは,まったく感じないように見える生徒です」「でもその生徒が,こんな言葉を書いているのです!」
「マザー・テレサが言っていますよね。『世の中で,つらくてむごいことは,戦争があることでも,貧困にあえいでいることでもありません。それは,誰からも必要とされずに,無視されていることです』と。」
私は,そんなことを言って全校の教師たちを見渡します。ゆっくりゆっくり見つめます。

「たとえは悪いですが,一寸の虫にも五分の魂と言うではありませんか。この言葉を書いた生徒は,いわゆるワルです。でも・・・・・その生徒が,これを書いたということは事実です。」「この生徒の心には,自分は見捨てられている,無視されている,見逃されている,という悲しみがあります。こみ上げる寂寥感があります」
私は,もう一度ゆっくりゆっくり教師たちのまなざしを見つめました。もう目を真っ赤にしている教師がいるではありませんか! 唇をぐっとかみしめている教師もいます。

「私がきょうのみなさんの教室を訪問して,今言いたいことは以上です」その言葉に多くの教師たちはうなずきの表情を見せてくれました。

それから,一週間経った頃でしょうか。一本の電話が入りました。
「もしもし,前田先生ですか,この間はどうもありがとうございました」「あのあと,みんなで何度も何度も話し合って・・・・とにかく現職教育も生徒指導もすべて難しいことを捨てて,『アイコンタクト』一本にしました!」「生徒にアイコンタクトを呼びかけるには,まずは教師である私がやるべきことです」
S校長さんの言葉には,力がこもっていました。

「S先生,よかったですね。みんなで決めたことをいかに根気強くやるかですね。シンプルイズベストですよ」と,私は言葉を返したのでした。

4 教師が変われば,生徒も変わる

言い古された言葉ですが,私はM中学校にかかわるようになって,3年目で,この言葉を実感しています。「教師が変われば,生徒も変わる」なんと明確でわかりやすい言葉でしょうか。「M中学校の様子が変わってきた」と校区の評判になってきたのです。「この頃は,あいさつもよくするし,何よりも子どもたちが,うつむき加減で通学していない」と。

もっとも,私がここまで綴ってくると,「この話は出来過ぎだな」と思われる向きもあるかもしれません。そうかもしれません。でも事実なんです。生徒たちがアイコンタクトをしていることが,「ふつう」になったのです。もちろん,教師も見渡して,見つめて,見守っています。

S校長先生は言われました。「前田先生,目は正直ですね。言葉を交わさなくても,何も言わなくても,目がすべてを語り,受容するのですね。私たちの学校もやっと『ふつうの学校』になってきました」

私は,こんな出会いが,私自身をとても元気にしていてくれると思うのです。そんなこんなで,私の学校への「行商」は続いているのです。





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