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前田勝洋 教育を拓くF
2日間に渡る力量講座を参観する

−授業力を磨くことに専心する教師たち−

教師たちの実践への強い思い
異動の朝
日常的な授業公開による学び合い
校長さんをも,授業参加に引っ張り出す教師たち
6月の力量講座の実施
振り返りつつ思うこと


 ずっと以前にも一度取り上げた小学校ですが,今年も去る6月11日(月)6月13日(水)の2日間に渡って,「力量講座 公開授業研究会」が行われました。この2日間では,それぞれ4時間の授業公開……合計8名の教師が,授業を公開したのです。

 思えば,10年前にこの力量講座はスタートしました。その開始時点で,まさかこの学校の授業公開が,10年間も一途に続くとは予想だにしていませんでした。ごくごく普通の公立の小学校が,教育委員会から指定されたわけでもないのに,地道に続けてきたのです。この力量講座は,6月に2日間,10月に2日間,2月に1日と年間5日間を継続してきているのです。それは驚くべき事実として,私は大いなる賛辞を呈したいのです。

1 教師たちの実践への強い思い

 この春の異動で,昨年度までのA校長さんが退職され,新たにW校長さんが赴任されました。A校長さんが退職される前の2月,A校長さん在職中最後の力量講座が行われたのです。私は,「これで,この学校の授業実践の方向性もひと区切りになるな」と思っていました。公立の学校では,校長さんが退職されるように,教職員の異動は,ごく普通のことです。

 2月下旬のある日,A校長さんが,わざわざ「前田先生,一度お宅へ伺っていいでしょうか」と電話がありました。私は,そんなことをしていただくのは,もったいないことだから,丁重にお断りしました。しかし,A校長さんは,「どうしても一度伺いたい」と言われるのです。そのA校長さんの口調に,単なる儀礼訪問ではないなと私は思ったのでした。

 案の定,A校長さんの話は,初めから核心的な話でした。「実は,本年度の力量講座を終えた後に,教職員が,私のところにきて,『どうしても力量講座だけは,新しい校長先生が誰であっても,引き継いでもらえるように,取り計らってほしい』と言ってきました」と。

「正直言って,私は去る身です。新しい校長さんが,だれであるかもわかりません。約束が果たせるか,それはたとえ私が願ったことであったにしても,できるかどうかは,見通しが立ちません」「ただ,正直言って,私はうれしい気持ちでした。教職員が使命感に燃えて,自ら私のところに言ってきてくれたからです」「思えば,私はこの学校で5年間を過ごしてきました。前任校長さんが去られるときに,力量講座の話を聴いて,私の経営指針にとってまったく異存はないと思って,引き継ぎました」「本校は,国語を軸にした実践です。それを少しずつ他教科へも広げてきました。私はもともと理科教員でしたから,大した指導もできませんでしたが,幸いなことに,H教頭さんが,陣頭指揮して,教職員のよき相談相手になっておられましたから,私は引き継ぐことができました」「すでにH教頭さんも退職されています。退職されてはいますが,H教頭さんには,引き続いて支援をお願いしています」「そんなことで,前田先生にも,ご指導を引き続いて行ってくださらないでしょうか」

A校長さんの話は,すごい中身を持った話です。私は,校長さんのところに進言してきたであろう教職員のみなさんの顔を思い浮かべながら,「すごい教師たちが育ってきている」と思ったのです。そこには,A校長さんやH元教頭さんの尽力を思いつつも,それを無駄にしないで継続していく……いや,もっともっと「私たちは勉強したいのです!」と言ってきた教師たちの稀有な姿に,ただただ感激の極みで聴いていました。


2 異動の朝

 3月下旬,教職員定期異動が発表されました。この小学校もA校長さんを初め何人かの教師のみなさんが勇退されたり異動されたりしました。

 校長には,W校長さんが赴任されたのです。

 私もかつて,三つの学校で校長職にありました。そんなときに,どれほどその学校の伝統を継承しようとしてきたか,問われると赤面の至りです。「自分のやりたいことをやってきた校長であった」と思うのです。わがままで自分本位な校長であったなと思うばかりです。それぞれの学校の教職員は,どんな気持ちで私を迎えてくれて,どんな思いで,学校経営に参画してくれたのだろうか,思慮深さや判断に短絡さのあった校長職ではなかっただろうかと,今思うと慙愧の念に駆られます。

 新しく赴任されたW校長さんは知らない人ではありませんでした。実は数年前に,ある小学校にかかわって研究発表会を行ったことがありました。その学校では国語や社会科,理科の授業を公開しての研究発表会でした。実は,W校長さんは,そのときに教務主任として,その学校の中心的な存在としてリーダーシップを発揮されていたのです。私にとって,初めての出会いではなかったのです。

 私はほっと安堵しました。「W校長さんならば,引き継いでくれる適任者だ」「教育委員会にA校長さんは進言したのだろうか」何はともあれうれしいことでした。幸いにも教頭さんも教務主任さんも校務主任さんも異動をしていません。W校長さんの意向さえ,変わらねば,力量講座は,教職員の願いどおり,継続されるかもしれないと思ったのです。
 
 W校長さんは,赴任してすぐに「この学校が授業実践で世間に知られた学校であることに,身の引き締まる思いです」と語られました。ただ,そうは言っても,いままでこの学校の実践活動が,どのような形で運営され,実践されてきたかは,W校長さんには見えない部分がいっぱいです。W校長さんは,前年度の実践活動を継承することを教職員の前で誓われました。H元教頭先生にもアドバイザーとして今後もかかわってもらうことをお願いしながら,進めていくことになりました。

 不安感を持っていた校内の教師たちも,「今年度はどうなるであろうか」と思っていただけに,なんとかほっとしたことでした。

3 日常的な授業公開による学び合い

 H元教頭先生と私とは,ここ10年来のかかわりがありました。この小学校の実践活動だけではなく,少しでも授業実践をよくしたい,学びたいと思っている学校や教師たちの要請に応えて,数校の学校を一緒に支援してきたこともありました。その実質的な原点に,この小学校がありました。

 H元教頭先生は,「もうそろそろ私も手を引きたい」と考えてみえました。H元教頭先生には,個人的なゆめがあったのです。そのゆめをこれからの第二の人生で満喫したいという願いがあったのです。私はそのことについて,何の文句を言う立場でもありません。
でも,H元教頭先生の「若い教師を導く手腕」には,大きな未練が私の中にもありました。何よりも,この小学校の教師たちは,「私たちを導いてください」と切望していたのです。

 H元教頭先生も,そんな教師たちに根負けするように「今年度だけですよ」と言うことで引き続いてかかわってもらえることになっていったのです。

 H元教頭先生には,「やるからにはしっかりやりたい」「中途半端な応援では気が進まない」が信条です。教師たちには,願ってもないことです。

 4月の最初から,学年部を中心にしての授業公開が行われ,新しく赴任してきた教師たちを巻き込んでの実践活動がスタートしたのでした。

 この学校の授業実践の学び合いは,ユニークそのものです。以前から実践をこの学校で行ってきた教師たちが,自らの授業を公開するだけではなくて,互いに授業の中で,「授業参加」し合うのです。
 
 この「授業参加」ということは,なかなか説明しにくいのですが,以下のように進められます。
 以前からいた教師たちも,新しい学級を担任して,まずは,「学級づくり」を行うのです。その学級づくりを基盤にして,授業実践を行います。その学級づくりは,「ここまでは学級づくりだよ,ここからは,授業づくりです」とはっきり分けられるものではありません。指導案も何もなくても,「きょう,私の授業に来てもらえませんか」という授業者の教師のお願い事で,その授業の時間に,その授業者の教室に集まることのできる教師が来ます。

 このようにして「授業参加」が始まりますが,「授業参加」は,「授業参観」しているのではありません。授業者が授業をしているのを傍観しているのではないのです。その授業を参観しながら,「ここぞ」というところで,授業者に対して「先生,もう少し時間をとって考える時間をつくるのはどうでしょうか」あるいは,子どもたちに「さあ,ここががんばりどころだよ」と呼びかけていきます。また,「今の子の発言は,もっとみんなで考えてみたら,どうなんでしょうか」などと,授業の中に介入していくことです。

 また,授業が始まると参観している教師たちは,「今ががんばりどころだよ」「音読がすごいね。でももう少しゆっくり読もうね」と個別に指導をします。国語の授業で,本文を読んで,「心に残った箇所を見つける」時間は,個別指導の時間でもあります。そんなときには,参観している教師たちは,思い思いの願いを持ちながら,個別指導を授業者と一緒にするのです。これこそが,「授業参加」ということです。

 その授業光景は,「一人の教師の授業づくりを,学習規律と学習方法の面で大きく支える振る舞いをする」姿になって,展開されるのでした。それは先輩教師が,後輩教師を「指導助言をする」というものではありません。きのうは,個別指導や全体指導で援助していた教師が,きょうは,授業公開をして反対の立場に立つのです。まさに入れ替わり立ち替わりのチームティ―チング方式による「学び合い」です。

 初めてその学校に赴任して,そんな光景を見た教師は,その光景にとても違和感をもつと言います。でもそれが当たり前のように日常的に行われると,次第に,そんな「授業参加」をしてもらえることが,うれしくなるのでした。
H元教頭先生は,その先頭に立って,各教室へ行き,「授業参加」をします。連休明けになる頃には,すでに子どもたちにも,心地よい「学び合い」の教室が誕生していくのでした。

4 校長さんをも,授業参加に引っ張り出す教師たち

 W校長さんも,そんな授業光景を目にして驚きます。そして,W校長さんにとって,さらに驚くべきことは,「校長先生,きょうのこの授業を参観してくださってありがとうございます。子どもたちに感想を言ってやってください」と授業者の教師に懇願されることでした。

 W校長さんには,そんな体験を持ち合わせていません。求められるままに,率直な感想を言います。

 実は,このこともH元教頭先生が,以前この学校にいたころに,校長先生にお願いしてやってもらっていたことでした。それが,ずっと続いているのです。子どもたちにとって,校長先生は,遠い存在です。集会に長話をする人くらいにしか思っていない子どももいます。それが,目の前で,自分たちの授業のがんばりをほめたたえてもらえるのです。それは,校長さんにとっても,直接授業にかかわる機会になっていったのです。つまりH元教頭先生は,そんな計らいをすることによって,校長先生にも,「授業実践の当事者」になってもらおうというものでした。

 「W校長先生,すごいじゃないですか。先生のお話で,子どもたちがとてもうれしそうでしたよ。これからもよろしくお願いします」そんな賛辞にW校長さんは気恥ずかしく思いながらも,返って自分が,この学校の一員になった実感を強くしていったのでした。

5 6月の力量講座の実施

 年間3回の力量講座を仕切るのは,教務主任のI先生です。この学校の長い伝統でしょうか,教務主任のI先生のところには,「力量講座で授業をしたい」と申し出る希望者が続出します。

 この学校では,力量講座の授業公開を「みんなに押しつける」ことはしません。あくまで立候補制で行います。年間3回の授業公開をする教師もいれば,一度もしない教師もいます。ほんとうは全員の教師が,平等に公開するのが原則だとずっと思ってきたI先生にとって,「一度もやらない教師のいること」が気がかりになった時期もありました。

 しかし,そこをぐっと我慢して,あくまで立候補制を貫くことによってこそ,一番大切な「本人のやる気と自覚」を育てていくことになるのだということを,教えられたI先生だったのでした。多くの学校では年間一回の研究授業の実践を義務付け,「みんな平等に」行うことが普通です。でもそれは,本人のやる気と自覚の中で生まれてきたことではありません。いわば,「受け身」で「義務付けられた仕事」になっているのです。まるで野球の消化試合のようなものです。

 今年も,6月11日(月)と6月13日(水)に8つの授業公開が行われましたが,その2日間には,市内市外から,延べ人数で100名を超す参観者がありました。2日間ずっと見続けて学ぶ教師もいれば,一つの授業だけを参観して帰る教師もいます。

2日目の5時間目の授業だけは,全体協議会の提案授業ということで,行われます。今年は,4年目の男性教師O先生が,まな板の上に上がりました。O先生の授業を参観した後,
 A かかわりあうための基礎
 B 考えをつくるためのひとり調べ
 C かかわりあいと教師の出どころ
のテーマ別に参観者は分散して協議します。それを全体でまた討議するのです。それはO先生のための勉強会ではありません。みんなにとっての「学びの場」です。外部の教師たちの参加しての協議は刺激的です。

 ところで,私はその二日間で何をしているのでしょうか。私の立場は,この2日間に授業公開された教師たちと個別に懇談することです。何も堅苦しい協議ではなく,感想を率直に話すことにしています。ただそれだけです。

 ただそうは言っても,無造作な言動は,許されません。授業者の願っているレベルは,かなりの高さです。そこにかなう話になると,なかなか厳しい試練を受けている気持ちに私自身がなります。でも,それは心地よい緊張感でもあります。この10年間の軌跡を感じつつも,迷ったら原点に戻って考えようを合言葉に行ってきたことでした。

 力量講座には,愛知教育大学の大学院生も大勢参観します。これは大学のK先生の研究室との連携でもあります。K先生自身もこの学校に継続的に来て助言指導をされてきています。この10年間の間に,研究発表会でも何でもない,この校内で行われていた「力量講座」は,今や大きなすそ野を広げてきたのでした。

 6 振り返りつつ思うこと

 私も年間100回程度の授業参観を,要請のあった学校でしてきました。でも10年間も地道に継続的に,実践活動を粘り強くしてきた学校は,そんなにありません。それほど「授業実践を核にして学校経営をする」ことは,難しいことなのです。

 教職員の異動もあって,初心は忘れ去られていきます。子どもたちも親たちも年年歳歳入れ替わります。よくまあこの学校では,こんなにも長い間継続されてきたものだと感嘆することしきりです。

 「授業は教師の本分」といった自覚とやる気を生み出すことは,当然教師たちに課せられている使命です。しかし,その使命は,なかなか容易に実現するものではありません。

 私は「10年間力量講座」を継続してきたこの小学校に大いなる敬意を表しながら,そんな学校,そんな教師たちが,明日の日本を背負う人材を育成することにつながっているのだと強く思うのです。






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